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| 大正十二年九月一日 関東大震災のため川崎小学佼砂子校舎倒壊新校舎が原位置に建設された。比の機会に、卒業生の間より同窓生一同が顔を合せ、親睦を計りたいと云う声が高まり、御大典を記念として、前校長谷口金先生が卒先して音頭をとられ昭和二年「校友会」の発足を見た。 初代会長には、先々代校長溝口顕吉氏が就任され、副会長には卒業生の中から高橋正男氏が選ばれた。二代会長は館上武雄、副会長小井戸正六氏であった。 当時、会員数に約百名足らずで、第一回総会を開催し、其の際は、常に名士による講演等が計画された。会費は、年額一円二十銭位でその経費の殆んどば、ガリバン印刷による会員の消息、名簿を印刷したパンフレットの刊行に当てられた。 こうして、年と共に会員数の増加をみ、昭和六年頃には、バンフレットから折疊式の会報となり、昭和十年頃には写真凸版等も入つた立派な小冊子が、配布されるようになり、会員約五百名位となり、総会は講堂にあふれる程の盛況をみ、名実ともに充実した校友会とな っていった。 春は多摩川園、夏に扇島、又秋の大運動会には、売店を開催する等、会員の親睦を図る企てにめざましいものがありました。 このように、年毎に発展の一路をたどつていつたが、太平洋戦争の勃発により、経続困難の状態におちいり、昭和十九年、遂に中止のやむなきに到った。尚当時の帳簿記録等は昭和二十年四月空襲により全部焼失してしまった。 本年八十周年を迎えるに当り、同窓会の復活が呼ばれ、昭和二十八年八月九日、同窓会準備会がもたれ 、続いて卒業生の現況把握の仕事から、着々と創立の準固が進んでいった。即ち学区の各町内にて、卒業生の調査をなし、小田、新町、宮前、旭町学区の卒業生について各その学校を通じて調査をした。 続いて、発起人を選出同九月十三日第一回発起人会を川崎小学校に開催し名簿整理をなし、千三百名の会員調査を済ました。 仝年九月二十日、第二回、十月二十日第三回の発起人会を開催し規約原案及び事業案、予算案等を作成し現在、役員選衡の段取りになつているが初代会長には、現川崎商工会議所会頭根本茂氏が最も有力である、創立総会は八十周年記念日の十一月一日と決定着々準備を進めている。 |